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銀河漂流バイファム13
23
脱出不能!逃亡者を探せ!

1998年9月12日放映


宇宙へ戻る術を失った子供達は、チェンバー夫妻を見つけだして脱出の方法を探そうとする。ようやく見つけたポールは、地球人である自分とククトニアンの妻ディグレとの間に生まれた一人息子のアランが脱出の際に犠牲となり、彼の墓を作るために片道切符でこの地までやって来たことを話す。脱出の方法がないことを知って泣き出す子供達に亡き息子の面影を見たディグレは、自分だけでも協力すると申し出る。ポールも仕方なく、子供達の脱出を手伝うことになった。

シャトルが大破し、旧タウトから脱出する術を失った子供達。彼らはチェンバー夫妻を探し、なんとか宇宙へ戻る方法を見つけだそうとします。隠しておいたバイファムとネオファムに再び乗り込み、トラックのタイヤ跡を探すロディとバーツ。近くの森の中にいたチェンバー夫妻を見つけて彼らを問い詰める子供達ですが、そこにククト軍の汎用艇XU-23aが飛来。降下してきたARVジャーゴとの戦闘に巻き込まれ、ポールは怪我をしてしまいます。
ケンツの活躍もあってなんとかククト軍を撃退した子供達。怪我の手当てを受けたポールは、子供達に真実を打ち明けます。自分がかつてイプザーロン星域に派遣された地球側の第1次学術調査団のメンバーであり、隕石事故によって遭難した時ククト側の学術調査隊に助けられたこと。そのメンバーだった妻ディグレとの間に生まれた一人息子のアランが、地球との戦争の気運が高まる中で自分の出生の秘密に悩み、家を飛び出したこと。そして逃亡者となった夫妻のもとに戻ってきたアランが旧タウト星で自分達と共に暮らすのを約束した直後、追っ手から自分達を守るために犠牲となってしまったこと。そして彼の墓を作るため、彼の生まれ故郷であるこの地までやって来たこと…。
だが、ポール達はここ旧タウト星に骨を埋めるつもりでやって来たため、この星から脱出する方法は持ち合わせていないと子供達に告げます。脱出するための最後の望みを失い、絶望のあまり泣き出してしまうマルロやルチーナ、ケンツ達。そんな子供達に幼少時のアランの面影を見たディグレは、子供達を助けるためにせめて自分だけでも協力すると申し出ます。そんな妻の行動に、仕方なく脱出の方法を探す手伝いをすることを決めるポール。自信満々に高笑いをする彼には、何か勝算があるのでしょうか…?

■19話での初登場以来、『植物学者である』ということを除いてその正体がはっきりしなかったポール・チェンバーですが、今回彼は地球人であり、かつて第1次学術調査団のメンバーであったことが判明します。彼によって語られた息子アランの物語は、まさしく旧作のミューラアのエピソードの焼き直しといえるものです。自らの生い立ちに悩み苦しんだミューラアが旧シリーズ後半の物語において核となったのに対して、今回語られたチェンバー夫妻の境遇がストーリーの核となることはおそらくないでしょう。劇中で語られたように彼らの息子アランは既にこの世の人ではなく、彼らは息子を弔うために今回の事件を起こしたに過ぎないからです。
しかし、ここにきてチェンバー夫妻と息子アランが13人同様に『戦争の犠牲者』であるというスタンスが明確になったことにより、ようやく彼らのキャラクターがバイファムという物語の大きな流れに沿いはじめたように思います。演出的には依然???な部分は多い上、作画そのものがこれらの物語をきっちりと描き切るレベルまで達していないことは非常に残念なのですが、きちんと彼らの行動の背景が描かれ始めたことによってこれまでの物語の印象が好転することを期待したいところです。
■前回の22話、『君はス・テ・キ』を使ってまでロディ達とバイファム&ネオファムの別れが描かれた訳ですが、シャトルが旧タウト星を飛び立てなかったことにより、崖下と沼に隠されていたバイファムとネオファムはあっさりと表舞台に復帰します。果たしてこれだけの展開のためにわざわざ『君はス・テ・キ』を使う必要があったのでしょうか?…ま、もういいか。すんません。もう言いません。
■ディグレの独白シーンで用いられた新挿入歌(歌は笠原弘子さんかな?)は、今回のクライマックスと言えるこの場面で非常に印象的な使い方をされていました。これまでバイファムになかったタイプの挿入歌で、メロディラインの非常に綺麗な曲です。この曲を今後どう使うかで「13」という作品の評価が大きく変わってくる…と思うのは私だけでしょうか(おそらく最終回あたりで再び使用されることは間違いないかと思いますが…)。
■そのディグレ独白の直前、ポールが独白するシーンにおいては旧音楽集2のBGM『讃歌〜明日へ』が使用されました(注:アレンジは若干異なります)。旧作では結局使われなかったこの曲、録音14年目にして本篇内で初のお目見えとなりました。シーンそのものは少し尻切れトンボの印象があったのですが、曲の叙情的な雰囲気をうまく生かした使い方だったと思います。
■本編中にストーリーの本筋とは絡まない無意味なシーンが多いことは既に「13」の特徴となってしまっていますが(苦笑)、今回もケンツの行動を中心に余計なカットが多く見られました。車から転落しかけた際に蒙古斑をさらけ出し(笑)、車には乗り遅れそうになり、果ては怒りと悲しみのあまり銃を乱射するのがその代表的な例で、これらは前後の展開に何の関連性も持たない無意味なシーンでした。単に尺の関係でシーンを追加する場合であっても、物語全体の印象が散漫にならないようにもう少し気を配ってもらいたいものです。上のシーンなどはもう少しうまく演出することで、終盤ディグレが幼少のアランとケンツをダブらせるシーンの伏線として物語に一本筋を通す役割を持ち得た気もするのですが…。
■遭難したポールがククトニアンの調査隊に救助された39年前というのは2019年という計算になりますが、これは地球側がイプザーロン星域の調査を開始したのが2019年であるという旧作の設定(※)との整合性がきちんと取れているようです(ただ、本当は有人調査はこのもうちょい後、2023年頃という設定があったみたいなんですけど…まあ大目に見ましょう)。
なお、彼らの息子アランは2020年代前半の生まれ、彼とほぼ同じ境遇であるミューラアは2035年の生まれ、そして移住実験プロジェクトのメンバーを両親に持つカチュアは2047〜8年の生まれということで境遇が似ている割にはかなり歳が離れている計算になりますが、アランの両親であるチェンバー夫妻はあくまで『イプザーロン星域』に派遣された調査団の所属、ミューラアの父親とカチュアの両親は『クレアド』に派遣された移住実験プロジェクトのメンバーということで、時期からしてもまったく別の団体です。従って(細かい部分は別にして)設定に間違いはありません。念のため(ああ、ややこしい)。
■今回回想シーンで登場したククトニアンの調査団の服装や手に持ったグラスなどは、旧作の設定を踏襲したデザインで描かれていました。また遺跡やARVジャーゴなども登場するなど、絵的にきちんと旧作の流れを汲んでいたのはファンにとっては良かったのではないでしょうか。
■キャラの演出については今回も玉石混交甚だしかったのですが、要所要所でハッとさせられるシーンがあったのも事実です。「アランは地球人もククト人もないと言った」というポールの言葉に目線を上げるカチュアと、それにいち早く気が付くマキ。息子のアランと自分を重ねて見るディグレの視線からわざと目をそらせるバーツ。いずれのシーンもセリフすらない、ともすれば見逃してしまいがちなカットですが、旧バイファムがこういった細かい演出の積み重ねで成り立ってきた作品であることは紛れもない事実。物語が終盤のラストスパートに入っている現在、このような細かい演出が復活したことは大いに喜びたいところです(なんとか今後も続いてくれればいいんですが…)。
■最後に、どうしても言わせてほしい独り言。『赤ん坊の頃のアラン、不気味すぎ』。今回は以上。

※=『VIFAM PERFECT MEMORY』みのり書房刊。今回引用した記事「イプザーロン太陽系の歴史」は、監修者が制作スタッフの外池氏ということもあり、実質的な公式設定として引用しました。

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