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第21話
「再会への秒読み!収容所へいそげ!」

1998年08月22日放映


ポールの書いた地図を頼りに、トラックで収容所を目指す子供達。立ち塞がる雪山を越え、彼らは地図に書かれた基地をようやく発見。一向に動く気配を見せない基地に業を煮やしたロディとバーツはRVで基地内に突入するが、そこはもぬけの空。実は収容所そのものが存在していなかったことを知りショックを受ける子供達。シャトルに戻った子供達は、残されたリグレーの書き置きでさらにショッキングな事実を知る。この星はそもそもタウト星ではなく、彼らの両親がいるタウト星はもうひとつの衛星であると…。

子供達が地上に降りて旅をするのは(劇中の時間で言えば)ベルウィック星以来2度目ということになります。「13」というシリーズをトータルで考えた時、物語の前半と後半で物語の舞台となる場所に変化を持たせることはごく自然な成り行きだったと思われます(この旧タウト星篇が仮に当初のストーリー構想になく、あとから追加されたシナリオであるとした場合、当然出てくる発想だと言えるでしょう)。地上用のアタッチメントであるスリングパニアー入手前にRVを地上で運用してしまうという乱暴な展開は百歩譲って認めるとして、この第21話では、そこまで強引な展開をしてまで物語の舞台を地上に持ってくるだけの価値があるのか?という部分が視聴者に問われていたと言えるでしょう。
そんな中この第21話では、視覚的にも変化をつけるという発想からか、バイファムの物語の中で初めて「雪山」でのシーンが登場します。思えばベルウィック星にしろ、オリジナルシリーズ後半の舞台となったククト星にしろ、彼らが降り立った星々はすべて地球型の気候を持つ星でした。彼らが初めて遭遇する「雪山」という特殊な気象環境は、演出次第ではファンの記憶に残る名シーンを作り出す条件が整っていた、と言えるのですが…。

…「旧」タウト星に到着したものの、チェンバーにトラックを奪われてしまった子供達。結局彼らはチェンバーの残した地図を頼りに、もう一台のトラックに乗り込んで収容所に向かうことになります。
荒地を進む彼らの前に、生まれてはじめて見る雪山が立ち塞がります。彼らはそのまま直進して山を越えようとしますが、チェーンを付けずに雪道を進もうとしたためにトラックは危うく崖下に転落しそうになります。RVの活躍でトラックは間一髪助かったものの、結局トラックをそこに待機させ、ロディとバーツだけが先行して偵察に向かうことになります。残されたスコット達はジミーが見つけた洞穴の中で暖を取り、霧が晴れるのを待つことにします。
一方、奪ったトラックで目的地を目指すチェンバー夫妻。計画がうまくいったことで浮かれているポールをよそに、妻のリグレーはルチーナから貰ったキャンディをじっと見つめ、子供達の安否を気遣います。
しばらくして霧は晴れ、スコットが運転するトラックは敵を警戒しながら雪道をゆっくりと進みます。その中で銃の使い方を皆に教えるケンツ。目指す収容所を目前に迫り、彼らの表情には緊張の色が見られます。一方もうすぐ両親に会えるということで、マルロとルチーナははしゃいでいます。
その頃、ポールが子供達に渡した地図の収容所が本当は存在せず、現在使われていないククト軍の基地であることをポールから聞かされて激怒するリグレー。彼女の説得によりポールはトラックの進路を変え、再びシャトルに向かいます。
ちょうどその頃地図に書かれた基地をようやく発見し、高台から様子を伺う子供達。一向に動く気配を見せない基地に業を煮やしたロディとバーツはRVで基地内に突入しますが、そこはもぬけの空。基地は無人であり、収容所は存在すらしないことを知ってショックを受ける子供達。両親に会えるという期待が大きかっただけに泣き出してしまうマルロとルチーナ。彼らを連れ、スコット達は仕方なくシャトルに戻ります。
シャトルに戻った子供達は、レッドベアーの旗の下に置かれたチェンバー夫妻の書き置きを発見します。そこにはショッキングなことが書かれていました。この星には彼らの両親はおらず、もうひとつのタウト星がその目的の場所であると…失意の子供達の上空に、タウト星の母星ククトが輝いていました。

…と、残念ながら「雪山」というシチュエーションが印象に残るエピソードを生み出すことはありませんでした。悪い見方をすれば、旧タウト星篇の一進一退の展開はこの第21話の時点で既に始まっていたと言えます。そして次の第22話から最終話まで、視聴者は13人の「旧タウト星からのなんだかよくわからない脱出劇」を延々と見せられることになります。

■地図の場所に行った→でも何もなかった→結局元の場所に戻ってきた、という(悪い意味で)単純明快な話です。子供達がこの星に収容所があると信じていることをことさら強調するためでしょうか、本編内でオリジナルシリーズの挿入歌「パパにあえる ママにあえる」をBGMに使ったり、ケンツが銃器の使い方を皆に教えるシーンを描くことにより収容所に突入する用意があることを示す、という演出の意図は分からないでもありません。しかし、おそらくすべての視聴者は彼らの目指す先に収容所がない(=子供達のいるのが本物のタウト星でない)ことを知っている訳で、そのポイントをストーリーのメインに据えて話の緊張感を維持しようというのは到底無理な話です。子供達の現在いる場所は実はタウト星でなかった、と判明するシーンで今回の話は終わりを告げますが、最初からこういうオチになることは分かっていた訳で、結果として非常に内容の薄っぺらい話だったと言わざるを得ません。歩哨に立ったマキがケンツに「親に会ったら何て言う?」と尋ねるシーンや洞窟内で暖を取りながら会話する子供達、またチェンバーに騙されたことに気付いたバーツが無人の基地内で銃を乱射するシーンなどは、軸となるストーリーがしっかりしてさえいれば非常に印象的なシーンになりえたと思うのですが、かえすがえすも残念です。
■前回の第20話でルチーナがリグレーに手渡したキャンディが今回重要なモチーフとして登場します。この回の収穫を敢えて一つ挙げろと言われれば、このキャンディをじっと見つめながらルチーナを回想するリグレーのシーンでしょうか。本編ではこのシーンと対比して、ルチーナ&マルロがもうすぐ両親に会えると思い込んで嬉しそうな表情を見せながらも、そのあと収容所が存在しないと知って大泣きするというシーンがあります。先の展開を知っている視聴者にとってあまりにも見ていて残酷なシーンではありますが、これらの描写があることで今回の話がなんとか一本筋が通ったことは確かです。
■あまり揚げ足取りはしたくないのですが、物語の冒頭で「シャベルや毛布も(チェンバーに)持って行かれている」と言っているにもかかわらず、雪山以降のシーンで子供達が毛布にくるまっているのは演出レベルでの明らかなミスです。本篇内で印象的なシーンさえあればこの辺の矛盾はおそらく目立たないと思うんですが、肝心のストーリーがストーリーなだけに…うーん。
■収容所らしい施設があったものの人はいなかった…という展開は百歩譲って認めるとして、これだけ人が快適に暮らせる環境でありながら、なぜ旧タウト星には人がいないのか?という謎をはじめ、視聴者に疑問を抱かせる描写が続出します。雪山に作られた道が明らかに人の手によって作られたものである点など、旧タウト星の断片的な状況から13人のこれからを判断しようとしている視聴者にとって、これらはまったくもって不可解です。何もかも整合性を取るのは無理としても、フィルターをかけて視聴者が気にならなくなる程度のことはできるはずです。それができなかったのは単純に内容が練れていなかったから、と言われても仕方のないことでしょう。


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