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第46話
「いつまでも13人」

1984年09月08日放映


無事に地球軍の駆逐艦バンガードとのコンタクトに成功したジェダのシャトル。艦長ギャラクレーとジェダの間で初会合が持たれる一方、子供達は地球側の熱烈な歓迎を受けてバンガードに乗り移る。しかしカチュアは自分の本当の両親を探すため、ジミーと共にククトのコロニーに向かう決意をする。窓際でジミーの名を叫び涙を流すケンツら子供達。ロディの発案でバンガードの主砲から放たれた無数の紙飛行機の群舞の中、カチュアとジミーを乗せたシャトルはククトのコロニーに、そしてロディ達の乗ったバンガードは地球に向けて発進していった。

「バイファム」という物語の最終回がいったいどういう形で描かれるのか、本放送当時視聴者には見当もつきませんでした。前の第45話でククト軍との戦闘は一旦終結しているため、戦いが描かれないであろうことは予想できたものの、それでは一体どのようなフィナーレを迎えるのかは皆目見当がつきませんでした。シリーズ後半は感動的なエピソードが連続して描かれていたこともあり、あるいは盛り上がりに欠けた尻切れトンボ的な幕切れになるのではないか?との懸念があったのも事実です。
しかしこの最終回には、これまでの全てのエピソードを凌駕する感動的なクライマックスが用意されていました。

…地球軍の駆逐艦バンガードと合流し、和平交渉に先立って艦長のギャラクレーと会見するロディとバーツ。両親との再会が秒読みとなった今、彼らにとって最大の懸案はククトニアンであるカチュアが自分達と一緒に地球に行けるかどうかでした。ギャラクレーは心配する彼らに対し、それは難しいことではないと告げます。PXへと案内されるロディ達、そしてジェダとの和平交渉に向かうギャラクレー。彼と部下の会話は、子供達、そしてリベラリストであるジェダ達の真意を測りかねているという様子が見て取れます。
バンガードに接舷するジェダのシャトル。ようやく地球側から乗艦許可が下り、子供達はリベラリスト達に別れを告げてバンガードへ移乗します。クレアやマキに励まされるカチュアは、ジミーが一行から離れていくのを見つけます。カチュアに話し掛けられたジミーは言います。「カチュアは、ママに会わなくて本当にいいの?」と。ハッとするカチュア。
バンガードに移乗した子供達は地球軍兵士からの歓迎を受けます。「Welcome KIDS」の垂れ幕とその歓迎ぶりからも分かるように、彼らはヒーローとして扱われます。子供達が望む望まないに関わらず、子供達は兵士達にとってヒーローであり、戦争を終わらせる和平のシンボルなのでしょう。
キャプテンであるスコットの「最後の一言」のあと、子供達の両親が全員無事であるとの知らせが入ります。歓声を上げる子供達。両親と通信するために食堂を出て行く一行ですが、カチュアとジミーはそのまま食堂に残ります。彼らを気遣うもののデュボアにその場を託し、仲間とブリッジに向かうロディ。彼らは両親との会話に涙ぐみます。

両親達との会話を終え食堂に戻ってきたロディ達は、そこにカチュアがいないことに気付きます。まさか!と窓際に駆け寄るロディ。折しもジェダのシャトルがバンガードから離脱していく最中でした。なくなっているカチュアとジミーの荷物。ブリッジへ行き、ジェダのシャトルにコールする子供達。通信に出たデュボアは言います。今はそっとしておいてほしいと…。カチュアが残していったメッセージに聞き入る子供達。誰もがカチュアとジミーの行動には理解を示していました。ただ、頭では理解していても、それが現実のこととなった今、気持ちの整理がつかなかっただけなのです。デュボアの言葉を半ば無視する形でカチュアに必死に呼びかけるロディ、そして通路を走りつつジミーの名を叫び涙を流すケンツ。子供達は口々に彼らの名前を呼び、彼らが乗っているシャトルを眺めるしかありませんでした。カチュアが置いていった紙飛行機を見てハッとするロディ。彼は仲間に、手を貸してくれるよう言います。

離れていくジェダのシャトルに向けて旋回するバンガードの砲塔。誘導波に捕捉され緊張感が走る船内、愕然とするジェダ。しかしモニタが捉えたのは、バンガードの主砲から放たれた無数の紙飛行機の群舞でした。宇宙空間を漂う無数の紙飛行機。それはスコットの言葉にある「離れていても僕たちはずっと13人」という気持ちの象徴であり、同時に彼らの新たな船出の象徴でもありました。この紙飛行機の群舞のシーン、ジェダも、デュボアも、ギャラクレーさえも画面に現れません。バイファムの物語が子供達の物語である以上、その結末においてはあくまでも登場人物が彼ら13人だけである必要がありました。紙飛行機を見つめるカチュアとジミー、そしてそれを見守る子供達。彼らはどこにいても「いつまでも13人」なのです。
去っていくジェダのシャトル。そしてカウントダウンのあと、地球へ向けて発進するバンガード。紙飛行機がひとつシャトルを追い、そして消えていきます。

「兄さん、また、ジミーたちに会えるよね。」
「ああ、戦争が終わったらきっと会えるさ、絶対に。」

■「まさかあの子供達、ククトニアンの手先として…」
「自分から先に手を出しておいて、今更和平はないよなあ」
「地球軍に油断するな。レギュレーターを暖めておいてくれ」
いずれもこの最終回に登場したセリフです。そしてこれらのセリフは、実はいずれもシナリオの初稿(※アニメディア別冊2などに掲載)には存在していませんでした。何故感動の最終回で、しかも和平会談を行っている横でわざわざこのようなセリフを挿入したのでしょうか?
このことは、バイファムという物語のテーマが密接に関係していると思われます。バイファムの物語は言うまでもなく「侵略者」である地球人とククトニアンの戦争が物語の背景となっています。シリーズ当初にロディら「子供達の物語」と軍人たちによる「大人達の物語」が交互に描かれていたことからも分かるように、バイファムの物語というのは「大人達の物語」を背景に「子供達の物語」を描く、という構造になっています。
この第46話では、その戦争の中をくぐり抜けてきた子供達の物語の結末が描かれます。子供達の物語、その結末にあるのはただひとつ「両親との再会」です。両親との再会を果たすために彼らは戦闘用の兵器であるRVを乗りこなし、長い旅に耐えてきました。彼ら13人は結果的にリベラリストと地球軍の間を取り持ち和平会談が行われるきっかけを作りましたが、彼らはそれを目的としてきたわけではありません。両親に再会できることが分かった時点で、彼らの旅は既に終わりを迎えているのです。
子供達の物語が完結を迎える一方で、大人達の物語はまだ終わりません。「家族を戦場に連れて行けば戦うのが嫌になるはず」と考えを述べたスコットに対し、デュボアが「素晴らしい考えだわ。戦争を防止する意味ではね」と極めて意味深な答えを返したのも、すなわち兵士達の先のセリフがこのシーンで持っている真の意味、つまり「誤解を解き、起こってしまった戦争を終わらせることは容易ではない」という現実を遠回しに表現したものであると言えます。彼ら子供達が考えている「戦争」と、大人達が直面している現実の「戦争」との間には決定的な認識のずれがある、このセリフはまさにそのことを言い表していたのではないかと思います(その他にも、子供達が兵士への呼びかけに使う二人称が「兵隊さん」というあまり日常的でない呼び名であること、兵士達が13人の子供達を現実を超越したヒーローとして扱うこと、そして「キミ達が小さな英雄さんたちか」「はぁ?」という会話ひとつをとっても、軍人達と子供達の間に大きな隔たりがあることが分かります)。子供達の旅は終わっても、その背景となった戦争を終わらせるための努力はまだ始まったばかりなのです。現にこの最終回から2年後に相当する物語、OVA4巻「ケイトの記憶〜」では、和平条約の後も睨みあいが続いている…という状況が描かれています。
紆余曲折を経て結末を迎えたバイファムの物語、特にシリーズ後半は番組の方針として必ず戦闘シーンを描かなければいけないという制約の中で路線に微妙なズレが生じていました。しかし第3クール以降の物語の中で唯一戦闘シーンのなかったこの回において、2つの星を跨いだ戦争に対してこのようなコメントが登場人物の口から発せられたことは興味深いことです。スタッフが用意したバイファムという物語への回答はまさにこれらのセリフにあったと言えるでしょう。そしてこのセリフがあったからこそ、この第46話はバイファムという物語の最終回として成立したと言えるのではないでしょうか。
■「紙飛行機の群舞」というクライマックスシーンが放映延長に伴って急遽考え出されたものであり、バイファムという物語の構想当初から存在したものではなかったということはよく知られています。しかし、この回が放映された後は、これまでの子供達の旅がこのクライマックスのためだけに存在していたかのように感じられます。そしてこの最終回こそが、「バイファム」という作品を後世に残すことになった最大の要因であることは間違いありません。オープニングの最後に登場しているこの紙飛行機を最終回のモチーフとして採用する案を出したのは、文芸設定担当だった外池氏。氏のアイデアを星山氏がクリンナップする形で実現したこのフィナーレは、バックに流れる挿入歌「君はス・テ・キ」との相乗効果によってシリーズ最大の盛り上がりを生み出し、作品のテーマに見事に答えを出すことに成功したアニメ史上に残る屈指の最終回と言えるのではないでしょうか。
■この最終回のサブタイトル「いつまでも13人」は、某アニメ誌が主催する「アニメグランプリ」の84年度サブタイトル部門賞で大賞を受賞しています。意外なことですが、シリーズの中でサブタイトルに「13人」という言葉が使われたのはこの最終回が初めて。のちのOVA〜「13」にかけてはスタンダードな言い回しとして定着しますが、この時点では非常に新鮮な響きでした。この回のラストシーンのスコットのセリフの中にもサブタイトルと同じ「僕達はいつまでも13人」というフレーズが使われているのも心憎い限りです。また余談ながら、この「13人」というフレーズが、第16話でケイトが最後に残した「仲間」という言葉が状況に伴って変化したものであると仮定すれば、この言葉こそがシリーズ序盤から一貫して物語のキー・ワードだったことが分かります。
■この最終回、主役メカであるバイファムはほんの一瞬、しかも格納庫内でしか登場しません。戦いを終え格納庫にたたずむバイファムにロディは話し掛けます。「お前ともいよいよお別れだな」と。ロディのバイファムに対する愛着が描かれたのはオリジナルシリーズではこのシーンが最初で最後であり、それだけにこの最終回には欠かせない名シーンです。コクピットに置かれたヘッドギアと手袋は、彼らの長い戦いが終わったことを表しています。またそれに先立って冒頭シーンで登場した格納庫内のバイファムはオープニング・フィルムと同じアングルで写されており、このことによって長い旅をくぐり抜けて来たバイファムがどれだけ傷ついているのかを表す効果を持っています。なお余談ながら、これらの格納庫の状況などから推測するに、冒頭のロディとバーツはそれぞれバイファムとネオファムに搭乗してバンガードにやって来たことが分かります。
■この最終回、事前に予想された子供達と両親の再会シーンは描かれませんでした。唯一音声で登場したのはスコットの父親(アンソニー)と、マルロの母親、ルチーナの母親の3人。マルロとルチーナはこの回のカチュア絡みのドラマにおいてはほとんど出番がなく、このシーンによってうまくバランスを取る形となっています。また通信する彼らの後ろで、母親との会話をどのように切り出すか練習するシャロン。「みんなとはパターン変えなくっちゃな」というセリフは彼女らしいセリフとして目を引きます。また、その後バーツが呟く「おふくろ、か…」というセリフは、たった一言でありながら第34話で描かれた彼の継母を巡るエピソードと見事にリンクした名言です。
■第44話から登場していた駆逐艦バンガードの艦長ギャラクレーはこの回の重要なキャラクターです。子供達の行動に理解を示す「立派な大人」として描かれた彼は、かつて子供達の脱出に尽力したクレアドの軍人、第3話の中尉、クレーク、ケイトなど、これまでの「バイファム」の物語に登場した大人達すべてを代表する存在です。(紙飛行機を飛ばしたいという)子供達の要求に「私個人としても賛成したい」と語る彼の意志は、軍人としての職務を離れたところで他のキャラクターすべての総意であったに違いありません。
■最終的にカチュアがコロニーに向かうことを決意するまでのキーパーソンとなったのは、ジェダと行動を共にしているデュボア女史でした。彼女はもともとキャラクターデザインの段階では「カチュアの姉」としてのイメージで発注されたことが知られています。結局ストーリー上この案はボツになってしまったわけですが、この最終回での彼女の役回りは図らずも初期のアイデアに則った形になっています。何よりこの最終回の大一番で長セリフを語れるキャラクターは彼女をおいて他になく、彼女の立場はこの上なく重要であったと言えます。余談ながら、本来サライダの助手である彼女がジェダと行動を共にしているのは少々不自然なのですが、この最終回を見終わった後ではすべてがこのシーンのためだったことが分かります(表向きはリフレイドストーンを保守するために行動を共にしていた、などと解釈すれば辻褄が合うでしょう)。
■「ルチーナ・プレシェット、5しゃい」など、シリーズ序盤を髣髴とさせるシーンが含まれているのもファンにとっては嬉しい限りです。また、同じ地球軍の軍艦である以上当然なのですが、バンガードの食堂の風景はジェイナスのそれとよく似ており、視聴者が限りなく慣れ親しんだシチュエーションで物語を締めくくろうとした制作側の配慮が見て取れます。
■カチュアの心境が変化していく様子はその間の彼女のセリフによく表れています。バンガード移乗前にクレアから「戦争が終わればいつでも両親に会える」と言われた彼女は、その後ジミーに「ママに会わなくて本当にいいの?」と言われ、その直後のシーンではデュボアに「この戦争、すぐに終わるのでしょうか?(=両親にすぐ会えるのか)」と問いかけをしています。ここまでカチュアは意思決定にあたってあまり他人に意見を求めたりせず、独力で決定することが多かったわけですが(第17話でパペットファイターで出撃した際や、第28話でひとりタウト星に向かったのがその例ですね)、その彼女がこのシーンではデュボアに問いかけを行ったりしている点からも、彼女がいかに悩んでいたかを窺い知ることができます。そして食堂で「ロディ、私は平気よ、はやく行って」と言った時の彼女の笑顔は、この時点でカチュアが既に決心していたことを示すものです。ちなみにこのシーンについては、シナリオの初稿ではもっと直接的な描写がありますので、見比べてみると面白いです。
■クライマックスシーン、バンガードの主砲がシャトルのほうを向き、誘導波がシャトルを捉えるシーンはすべてジェダの視点から描かれています。辛い別れのシーンのあとに不意に訪れた一瞬の緊張、そしてそれが感動に変わっていくシーンの間合いの「絶妙さ」は言葉では言い表せません。カチュアの表情が徐々に変わっていくカットなどはまさに入魂の出来と言えるでしょう。
■「君はス・テ・キ」が劇中で使用されるのはこれが3度目のことです。しかしこの最終回で使用された「君はス・テ・キ」は、それまでの2回と明確な違いがあります。それは、前2回がいずれも楽曲の2番の部分が使われていたのに対し、この最終回での「君はス・テ・キ」は1〜2番を通したフルコーラスでした。何故1番だけが最終話まで温存されたのかは1番の歌詞を見れば明白です。彼らの新しい船出を象徴する…「君はス・テ・キ」の1番は、まさにこの最終回のためにあった楽曲だと言えます。
■「君はス・テ・キ」と共にこの回を盛り上げたのが、音楽集2に収録されている名BGM「悲しみ色」です。第41話にも使用されたこの曲は、カチュアが身の振り方を思い悩むシーンを中心として計3度登場し、まさにカチュアのテーマ曲的な扱いとなっています。特にこの回では、Aパートでカチュアがジミーに駆け寄るシーンとBパートでロディが窓際に駆け寄るシーンでこの「悲しみ色」が使われますが、これら2つのシーンはほとんど同じアングルで描かれるという凝った演出がなされています。余談ながらこの回に使われているBGMは通常と同じ曲ながら楽器編成をシンプルにしたものが多く、戦闘中心となったシリーズ後半の勇壮な曲よりも限りなくシリーズ前半に近い雰囲気を持っているのが特徴です。
■この回のラストシーン、ロディ&フレッドの「兄さん、またジミーたちに会えるよね」「ああ、戦争が終わったらきっと会えるさ、絶対に」というセリフは、第1話のラストシーン「戦争になっちゃうの?」「負けやしない、絶対に」というセリフに呼応しています。このセリフはロディが、そして13人が、長い旅の中で人間的に大きく成長したことを表すセリフです。「僕達はいつまでも13人」であり、なおかつファンにとっても「私達もいつまでも13人と一緒である」という希望を具現化したのが、この回のキーとなった紙飛行機だったのではないでしょうか。一葉の紙飛行機が宇宙を舞い、そして「some other day....」というメッセージが浮かぶ中、「銀河漂流バイファム」の物語は静かにその幕を下ろします。


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