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第41話
「カチュアを撃つな!」

1984年08月04日放映


サライダ博士の元へ両親のことを尋ねに行くカチュア。サライダ博士は捕虜となっていたミューラアを呼んで調査隊について聞こうとするが、ミューラアは一瞬の隙をついてカチュアを人質に取り、遺跡の積まれたトレーラーで逃走する。時を同じくして襲来したククト軍との間で戦闘が始まり、ロディは単身でミューラアからカチュアを救出しようと追跡する。ミューラアはトレーラーから振り落とされた2人に銃を向けるが、異星人同士にもかかわらず庇い合う2人を見てそのままその場を去っていった。,

サブタイトルにカチュアの名前が登場する割には、実際にはこの回の主役はカチュアではありません。勿論彼女がこの回のキーとなるキャラクターであることに違いはないのですが、この回は前の第40話では対等な立場で関わることができなかったロディとミューラアがカチュアを通して初めて1対1で対峙するエピソードとして描かれています。つまりこの回の主役はカチュアではなくロディとミューラアということになります(割合はミューラアのほうが限りなく高いわけですが)。

…サライダ博士の前で一瞬の隙をつき、ミューラアはカチュアを人質に取り逃走します。彼が運転するトレーラーの屋根に飛び移り、これを追跡するロディ。彼がトレーラーに飛び移るまでの手に汗握るアクションシーン(+BGM)は一見の価値ありですが、そもそも彼はどうしてバイファムで追跡しなかったのでしょうか?少なくとも彼にはトレーラーに追いつくまではバイファムで追跡することもできたはずです。
彼がバイファムに乗らなかったのは展開上たまたまそうなってしまったからではなく、「彼自身がバイファムの助けを必要としないまでに成長した」のを描くのがこの回のポイントだったからだと思われます。このあとのミューラアとの対峙シーンを描くためには、ロディはミューラアと対等な立場で描かれる必要がありました。ミューラアがここでRVに乗っていない以上、ロディもそれに合わせて生身で彼を追撃するしかなかったのでしょう。
一方そのバイファムにはこの回フレッドが搭乗するわけですが、このことはこの回のもうひとつの主題と密接に関係しています。彼がバイファムで出撃したことは「フレッドは兄のロディと肩を並べるところまで成長した」という演出であり、それを描くためにこの回の冒頭から丁寧な伏線が張ってあると解釈できます(実際には彼はうまくバイファムを操縦できずにもたつくわけですが、フローティングタンクにビームを放つシーンでの彼の表情は第2クールのロディを彷彿とさせますし、第8話でディルファムを初めて動かした際のフレッドと比較にならないことは明らかです)。彼が搭乗したのがトゥランファムやネオファムでなく、兄ロディの愛機であるバイファムだったことには必然性があるのです。
つまりこの第41話はミューラアとロディ、カチュア(=ミューラア自身)の戦いを描くと同時に、ロディとフレッド、二人の成長を描くことがもうひとつのテーマだったのではないかと思われます。長い旅を経て大きく成長したフレッドは兄に代わってバイファムを操り、そして同じく成長したロディは一人の大人として生身でミューラアと対峙します。

そしてクライマックス。「子供のお前に何が分かる!俺がどんな思いで生きてきたか」というミューラアのセリフ。このセリフを口にした時点でミューラアは既にロディに対して敗北を認めていたと言えます。ミューラアが自身の身の上について語るのは第44話のラストでのカチュアへのメッセージを除きこれ1回きり。このシーンはミューラアがロディに対して本音を口にした唯一の場面であり、実質的にロディとミューラアの戦いに決着が付いた場面であると見るべきでしょう。
身を呈してかばい合う彼らを見てその場を立ち去るミューラア。このシーンは同じ平野氏脚本による第44話「大宇宙のうた」へと繋がっていくことになります。

■この回の演出は浜津守氏。バイファムへの参加はこの1回きりである浜津氏は、この半年前まで「巨神ゴーグ」のスタッフとして演出を担当されていた方です(その後は「ガラット」に参加)。その浜津氏がのちに「バイファム・パーフェクト・メモリー」に非常に興味深い談話を寄せておられます。それは、バイファムという物語が明らかに進むべき道と違う方向に行ってしまった作品であるとした上で、この第41話が本来演出されるべき「1m20cm」の視点からでなく、「1m80cm」つまり大人の視点から演出されていたというものです。この第41話は前述の通りロディとミューラアの対決を軸に描かれたエピソードであり、その意味では「1m80cm」の大人の視点だったことは適切だったと言えるかもしれません。しかし浜津氏の言うようにバイファムの物語が当初の「1m20cm」の視点を貫く形で演出されていた場合、このエピソードはおそらく日の目を見ていなかったことでしょう。諸々の事情からミューラアを前面に立てた物語を描かざるを得なかった第3クール以降の「バイファム」、この浜津氏の指摘は作品の変化を的確に表現したものとして実に貴重な談話ではないでしょうか。
■この回のもうひとつの見どころは絶妙のBGMです。カチュアがサライダ博士を尋ねるシーンでの「悲しみ色」は最終回(第46話)と直接リンクする重要なポイントですし、ロディがトレーラーに飛び乗るシーンの「追撃戦」、その直後に描かれる襲来した政府軍との戦闘シーンでの「チェイサー」は非常にスリリングです。しかし最も印象深いのは、ロディとミューラアが対峙するシーンにおいてBGMがまったくないことです。カチュアがトレーラーを飛び降りてロディが駆け寄る場面以降、ククトの荒野は静けさに包まれます。風の音が聞こえる中でのロディとミューラアの対峙。そして決着がついた後、流れてくる「ミューラアのテーマ」のインストゥルメンタル。このシーンはおそらくバイファムを代表する名シーンであると同時に、第44話「大宇宙のうた」のラストシーンとリンクする重要なポイントです。
■実はこの次の第42〜43話は、この第41話といまいち話が繋がっていません。以前と何ら変わらないロディとカチュアの関係、そして一方任務をミューラアは「私に残された唯一の道はあのバイファムとやらを倒すことだ」などと言い始める始末。第41話終盤でのドラマが一体何だったのか首をひねりたくなります(もちろん展開上やむを得なかったのは分かるんですけどね)。結果的にこの回のラストは同じ平野氏脚本による第44話「大宇宙のうた」に生かされていくことになります。


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