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第38話
「輸送機をうばえ!」

1984年07月14日放映


連絡の途絶えていたロディからスコット達に通信が入る。ミューラアの部隊に囲まれて動けなくなっているのだ。メルの父親達はロディを救出するために再び収容所を襲い、輸送機を奪うことで包囲網を撹乱させる作戦を実行に移す。基地から救援を求められたミューラアが離脱したことでロディは無事包囲網からの脱出に成功した。両親達と共にククト星を離れることになったガイはケンツに鞄と地図を托し、コロニーに向けてシャトルで飛び去っていった。

第3クール以降、バイファムの物語はスポンサーの意向もあって毎話ごとに必ず戦闘シーンを描くことが義務付けられ、それまでバイファムが持っていた物語展開のパターンは変化を余儀なくされます。もともとバイファムの物語の中には子供たちが戦闘をしなければならない必然性は一切存在していません。彼らの目的は無事に両親と会うことであり、それこそアストロゲーターと遭遇さえしなければ彼らは一切戦わなくて済むのです。彼らが戦うのはやむを得ない状況になるからに過ぎず、極端なことを言うと敵と遭遇するなり一目散に逃げ出して構わないわけです(勿論確実に逃げ通せるのであれば、という条件付きですが)。また戦闘シーンを描くということはイコール年長組の登場シーンが多くなるということであり、単純に戦闘シーンの割合を増やしてしまうと中堅どころ以下のキャラクターの出番がなくなってしまいます。そうでなくても物語はカチュアとミューラアを中心に展開しようとしており、13人のキャラクターそれぞれに見せ場を作ることは至難の技です。
このことを一番よく理解していたのはおそらくスタッフの方々でしょう。毎話ごとに繰り返される(繰り返さなければならない)戦闘シーン、それをいかに必然性のあるものにするか。ククト星篇のポイントのひとつはまさにその部分にあったと言えるでしょう。

さて、「毎話必ず戦闘シーンを描く」と「13人それぞれが活躍するシーンを作る」という相反する条件をクリアするため、このククト星篇では劇中でいくつかのアプローチが試みられています。まずひとつは、直接RVに搭乗しない「非戦闘員」の子供達が力を合わせて敵を撃破するプロセスを描くことで、戦闘シーンそのものに意味を持たせてしまうというパターン。ケンツら中堅組の4人がトラックに乗り込み収容所内でククト軍に攻撃をかけるこの第38話、また通信基地でククト政府軍に襲われた際クレアやマキが力を合わせて巨大なバズーカ(らしきもの)でARVを撃破する第40話がそうです。ロディ達RVとリベラリストが先制攻撃をかける一方、地からはスコットとクレアが機関銃を乱射しながらククト政府軍基地に突入する第43話もこの亜流と言えるでしょう。
もうひとつは、ロディ達RVの戦闘シーンと並行して劇中で全く別のドラマを進行させることで戦闘シーンの印象を極力弱め、そこに中堅組以下の「非戦闘員」の子供達を参加させるというパターンです。バイファムらとジャーゴの戦闘の横でククトニアンの4人を含む子供達が橋を渡るために力を合わせるシーンを描いた第36話、そしてククト政府軍とリベラリストの戦闘が繰り広げられる中ロディがミューラアのトレーラーを単身追跡する第41話が典型的な例です。これらは見かけ上「戦闘シーン」を描いているにもかかわらず、実際には視聴者は並行して描かれているドラマに取り込まれてしまっています。つまり中堅組のポジションはこれまでと変わらず、なおかつ戦闘シーンを描くという条件をきちんとクリアしているのです。
ククト星篇中盤以降の話は概ねこのいずれかの展開に大きく分けられるのですが、ひとつ面白いことに気付かされます。中堅組が戦闘に参加するパターンの回は脚本が星山氏、そして並列してドラマが描かれる回は必ず脚本が平野氏なのです。メインライターであるこのお二人が「戦闘シーンを必ず描き、かつ13人全員が登場する」というルールに対してそれぞれ異なるアプローチを試みていたことは非常に興味深い点であると言えます。
(因みにもう一人のメインライターである伊東氏は、第34話のバーツとマキ、第39話のスコットとクレア、第42話のクレアなど、登場キャラを大胆に絞り込んだ年長組のドラマを描いておられるのが特徴と言えます)

…さて、第37話との前後篇であるこの第38話では、メルの父親を中心としたククトニアン捕虜の面々が収容所突入作戦を計画します。不意をついて輸送機を強奪し、それによってミューラアを基地に引き返させることで、彼に包囲されて身動きが取れなくなくなっているロディを助けるという計画です。前述の通り星山氏脚本によるこの第38話は「子供達ほぼ全員が武器を手に取って戦闘に参加する」というアプローチがされているわけですが、正直なところ子供達が生身で敵と戦うシーンを見るのはあまり心地の良いものではありません。特にこの回ではガイ達4人までもが戦闘に参加することになり、後半はもはや収拾不可能な状況に陥っています。話の成り行きでこうせざるを得なかったことは分かるのですが、「劇中での出番が欲しければ戦いに参加しろ」的な描き方はこれが本当に「バイファム」なのか?と疑いたくなる内容です。

とにもかくにも、メルの父親の目論見どおり、収容所が襲撃されたことを知ったミューラアはロディの包囲を解いて基地に引き返します。おかげで窮地を脱するロディ。戦闘に加勢するうち窮地に陥ったケンツ、フレッド、シャロン、ジミーはガイ達4人によって助けられ、そして激しい銃撃戦の上ククトのコロニーに戻るための輸送機を奪ったククトニアン捕虜達は無事その場を離脱します。後に残されたのは廃墟となったククト軍基地と、裏をかかれ唇を噛むミューラアの姿でした。…

…と、この第38話のほとんどを通して描かれた「酷い」戦闘シーンですが、唯一の救いはラストシーンの感動的な演出によって戦闘シーンの印象が限りなく弱まったことです。そう、この話のヤマ場は何と言ってもラストシーン、ガイ達4人とケンツの別れに尽きます。第35話ではケンツを人質に取って逃亡した4人。しかしその後信頼感を芽生えさせ仲間となった彼らはこの別れのシーンでケンツのことを口々に愛称である「ぐんそう」と呼び、ガイはカタコトの地球語で「わ・す・れ・な・い・き・み・の・こ・と」と呟きます。そして飛び立って行く輸送機を追って走るケンツ…ククト星篇を語る上で欠かせない名エピソードであり、同時にケンツのキャラクターがクローズアップされた名シーンであると言えるでしょう。

そして再び13人だけになった子供達は、得られた手掛かりをもとに再び両親探しに旅立ちます。

■もともと全46話に及ぶバイファムの物語は子供達の出会い→別れ(新たな旅立ち)を描いたものであり、その意味ではこのガイ達4人のククトニアンと13人の出会い→別れを描いた第35〜38話はバイファムという物語の縮図であると言うことができます。特に第38話、ケンツとガイの別れのシーンに流れる「君はス・テ・キ」は最終回のラストシーンに通ずるものがあり、まさに「プレ最終回」の位置付けに当たるものだったと言えます。
■この第37〜38話頃から、13人の中における小グループに新しい編成パターンが見られるようになります。分かりやすい例として挙げられるのは「フレッド・ケンツ・シャロン・ジミー」という4人組。彼らは第8話におけるフレッド・シャロン・ケンツの「高ゲタトリオ」が中核となっており、年齢的にはいわゆる「中堅組」にあたります。一方このグループに相方のフレッドを取られる形になったペンチはクレアと共にマルロ・ルチーナの世話をする役に回ります。これにより「スコット・ロディ・バーツ・マキ」の年長組、「フレッド・ケンツ・シャロン・ジミー」の中堅組、「クレア・ペンチ・マルロ・ルチーナ」の年少組+世話役という4人ずつのグルーピングが成立し、この区分からひとり外れたカチュアは時には年長組と行動を共にする一方で、両親の情報を集めるために彼らから離れて単独行動を取ります(第40話の冒頭や第41話がよい例)。あまり表現はよくないですが「登場人物のモジュール化」という言葉が適当かと思います。
これら「モジュール化」はそれぞれのキャラに確実に出番を与えるためには有効ですが、その一方でこの第38話のように非常に安直な図式のストーリー展開を生むことになります。特にこの第35〜38話においてはガイ達4人のククトニアンの合流で登場人物が増加したことにより、13人のうち何人かは完全に黒子に徹する形になってしまいます。例えばこの回のクレアとペンチの存在感は非常に希薄であり、戦闘シーンを中心とした物語の中では彼女達のポジションがないことが一目瞭然です。もっともクレアの場合は「母親役」という役回りを逆手に取ってのちに第42話のような名エピソードを生み出しており、その意味ではペンチなどはこの「モジュール化」における最大の犠牲者と言えないこともありません。そういった意味でもこの第35〜38話は第3クール以降の物語の綻びが顕在化したパートであると言えそうです。
■「モジュール化」のあおりを受けて戦闘シーンでの配置が転換となったのがカチュアとケンツ。ケンツがRVに搭乗するとパイロットが一人あふれ、必然的にカチュアが生身での戦いに参加しなくてはいけなくなります。おそらくそれを避けるためでしょう、この回では「マキ&カチュア」という組み合わせでトゥランファムが運用され、ケンツはジミーやシャロン、フレッドと共に武器を手に取って戦います。子供達が武器を手に取ること自体大枠で誉められたものではありませんが、ことカチュアに関してはスタッフも最大限の配慮をしていたことが分かります。
■この回はクライマックスを除いてガイ達4人の存在がほとんど忘れ去られています。バズーカを撃ってケンツ達を助けたことでようやく「あ、そういえばいたっけ」と気づかされる程度の存在感であり、そのシーンにしても、第36話で橋から落ちそうになるバギーを助けた時とはまるで意味合いが異なるものです。この回の彼らの存在価値はまさにクライマックスにあるわけですが、彼らを直接戦闘に参加させるのではなくもう少し別のアプローチはなかったのか?と考えさせられます。
■この回の作画監督はバイファム初参加の桜井美智代さん。各キャラの顔つきが丸っこく、表情が少々オーバーなのが特徴です。
■捕虜と撃ち合いになって次々と倒れていくククト兵、そしてジミーが落としたバズーカの弾らしきものが直撃して爆発するククト将校の乗ったバギー。ミューラアと会話する妙ななまりのククト兵。銃を構えたにもかかわらず発射しようとしないギブル、また一向にトゥランファムに命中しない敵のビーム。この回見ていて気になる演出、妙な間合い、および「それはないだろう」とため息が出る展開は数え上げればキリがありません。もっともAパート最後、バイファムが起動する際のアイドリング音などは細かい演出としてなかなか気が利いていたと思うのですが、そのあたりが全体の流れの中に埋没してしまったのは残念なところです。
■余談ながら、この回の「酷い」戦闘シーンを含めた物語構造をダイレクトに受け継いでしまったのが「13」最終回である第26話。子供達が協力して敵を倒し、そしてケンツとゲストキャラの涙の別れ…と、ストーリーはまさにそっくりです(ちなみに脚本はこの回と同じく…やめておきましょう)。脚本家別の特徴的な描き方が図らずも証明されてしまった象徴的なエピソードであると言えそうです。
■スコットのセリフ「危ないでしょ、危ないって言ってるでしょ〜!」。キミのハイテンションなリアクションのほうがある意味よっぽど危ないと思うんですが。
■「バーツ!後ろに敵がついてるぞ!」「よせ!撃つな、味方だ。メルの親父さん達だよ」というロディのバーツの掛け合いは、第28話の「ロディ、助けにきたぞ!」「撃つな!この人達は敵じゃない」の裏返し。展開上は別におかしなセリフというわけではないのですが、ロディの立場がちょうど逆になっていることもあり、その辺を突っ込んで描写する方法もあったかもしれないですね。
■戦闘シーンの演出レベルでは正直なところ評価が低いこの回ですが、第35話からのガイ達とのやりとりを締めくくるラストシーンは見逃せません。これまで行動でしかお互いの感情を表現できなかったガイ達とケンツが初めて「言葉」で会話するシーン、その中でもケンツに対する「ぐんそう」というニックネームでの呼びかけはたいへん感動的です。これが「ケンツ」とか「ケンツさん」だったりした場合この回の感動は得られたでしょうか?
■この回流れた「君はス・テ・キ」の歌詞は、初登場となった第36話で使われたのと同じく2番のものでした。さて、1番が使われなかったその意味とは…?これは最終回でひとつの回答が提示されているのですが、これについては最終回の解説にて。


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