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かお
バイファム考察
 
バイファムのオリジナルシリーズ全般に関し、様々な角度から考察するコーナーです。なるべく既存の評論とは異なる視点での考察をしたいと考えています。駄文ですがどうぞよろしく。

衝撃!ボツデザインのバイファムが画面に登場していた!
ヒロインはいったい誰?女性キャラのポジショニング
誰がセレクトした?金曜劇場の「迷場面・珍場面」
メカ中心か?キャラ中心か?
どのキャラをメインに据えるか?〜バイファムにおける対人認知
音楽的考察「最終回を彩った音楽」

■衝撃!ボツデザインのバイファムが画面に登場していた!(2002/02/09)


オリジナルシリーズ後半から登場したRVの地上用アタッチメント「スリングパニアー」は、13人がククト星に降りるというストーリー展開上必要不可欠であったという理由のほかに、スポンサーの意向が強かったことが知られています。強化パーツを投入して主役メカをリファインすることで、キャラクター商品(主としてプラモデル)の売上を図る、という意図があったわけです。かつてのガンダムにおけるGパーツとよく似た位置付けといったところでしょうか。
実際、バイファムら3機種のRVはその後2スケール共「スリングパニアー付」という形で再発売されています。

さて、このスリングパニアーを始めとする新設定の投入は、放映時間帯変更(第3クール〜)とほぼ同じタイミングで行われたわけですが、実際の作業はかなり慌しいスケジュールの中で行われたようです。打ち切りか存続かで揺れていたバイファムの放映延長が正式決定したのが2月のことで、3月下旬放映の第22話でローデン大佐と合流、そして第23話でタウト星を目指して出発と、僅か1ヶ月強の間によくこれだけの話をまとめる余裕があったものだ、と驚かされます(実際には放映延長用・打切り用など何パターンかのシナリオが用意されていたようですが)。

ただ、これらのドタバタが原因による綻びが一つもなかったかというと、そうではありません。

代表的なのはオープニングです。オリジナルシリーズのオープニングは放映時間帯変更後にマイナーチェンジを行い、さらにアバンタイトルがなくなりました。 が、この2つの変更は放映時間帯変更(第24話〜)と同時に行われたわけではなく、オープニングが第26話から差し替わったのに対して、アバンは放映時間帯変更後の第26〜27話においても以前と同じスタイルで放映され、第28話からなくなりました(※総集篇である第24〜25話はアバンなし)。このあたりにも、タイトな制作スケジュールの中でフォーマットの変更が徹底できなかった様が見て取れます。

そして、もう一つ大きな綻びが出たのは、第30話です。
前の第29話では、地上用のアタッチメントである「スリングパニアー」が初めて本篇に登場し、この第30話冒頭ではバイファムらRVにこのスリングパニアーを取りつける様子が描かれます。
このスリングパニアーはデザイン決定までかなりの紆余曲折があったようで、のちの「パーフェクトメモリー」誌には様々な形状の画稿が掲載されています。玩具メーカーである某スポンサーの意向によって何度もリテイクが入ったものだと推測されますが、その中でも、スリングパニアーの形状は同一ながらもバイファムの脚部自体の形状が微妙に異なるバージョンがあります。具体的にはふくらはぎの左右にエアインテークが装備されているのですが、おそらく「作画が面倒」および「劇中で部品の換装作業が発生するため、子供たちだけで行ったとするには無理がある」ためにボツになったと推測されます。

が、実はこの第30話では、エアインテーク付のボツバイファムが画面に登場してしまっているのです。
さらに言うと、シーンによって脚部の形状が違うという、摩訶不思議な事態が発生しているのです。
以下の表にまとめましたのでご覧ください。

箇所 シーン 脚の形状 備考
Aパート スリングパニアーの装着を終え、格納庫に立つバイファム ノーマル  
Bパート 大気圏突入前、トゥランファムらと共に出撃するバイファム ノーマル 肩部の色の塗り間違いあり
Bパート 戦闘中のバイファム ノーマル  
Bパート 一旦ジェイナスに戻りかけるも、トゥランファムのもとに引き返そうとするバイファム ボツデザインバージョン  
Bパート 同、引き返している最中のバイファム ボツデザインバージョン  
Bパート 弾き飛ばされたトゥランファムを受け止めるバイファム ボツデザインバージョン  

この第30話のBパートでは、ボツデザインである「ふくらはぎ左右にエアインテークの付いたバイファム」が平然と画面に登場しています(実際には注意して見ないと分からない程度ですが)。しかも都合の悪いことに、ジェイナスから出撃した直後はノーマルバージョンなのに、戦闘の途中からいきなりボツデザインバージョンになる…という状態なのです。
そしてさらに厄介なことに、ロディ達がククト星に降り立った第31話では、再びノーマルバージョンに戻ってしまっているのです。仮に第31話の冒頭シーン(バイファムがカーゴから姿を現すところからククト探索に出発するまでの間)だけでもエアインテーク付バイファムであれば、ククト星の気候に合わせて部品を換装してから出発した…という言い訳も不可能ではないでしょうが、これでは言い訳のしようがありません。明らかな作画ミスということになります。

こうなった理由はいくつか考えられますが、おそらく一旦決定稿として配布されたデザインに対してさらに変更が加えられ、その指示が作画中の現場に間に合わなかったのではないかと思われます(第30話担当のプロダクションにのみうっかりボツバージョンを配布してしまったという可能性もないではないですが)。


オープニングのフォーマット変更のドタバタぶりと、幻のボツバイファムの登場。
今となっては当時の制作現場の混乱ぶりを示す、非常に興味深い映像であると言えます。


(余談)第26話から登場した新オープニングに含まれる「森林の上を飛行するスリングパニアー付バイファム」を見て「あっ、タウト星のあとは舞台が地上に移るんだ」と、タウト星到着前の時点で気付いてしまった視聴者は(当時の私も含めて)多かったと思われます。オープニングによって本篇の展開がバレてしまうというアクシデント。よくあることとはいえ、これもドタバタ劇の産物かもしれませんね。

■ヒロインはいったい誰?女性キャラのポジショニング(2001/08/04)


バイファムに登場する13人の子供達は、誰かが途中でメンバーに加わったり、あるいはメンバーから抜けたりといった事態を迎えることなく、最終回まで同じ顔ぶれで彼らの役割を演じ続けます。彼ら13人は、初登場の時期こそ第1〜4話の間でそれぞれ分散していますが、これは制作側が最も効果的な登場シーンを選んだだけのことであり、いずれのキャラも初期設定に忠実な形で劇中に登場し、そして最終回までその役割を演じ続けたことになります。

その一方、彼ら13人の性格やポジションなどが放映終了後まで一貫して初期設定に忠実だったかというと、これは必ずしもそうではありません。アニメやマンガでは物語の進行に伴ってキャラクターが一人歩きを始めることはよくある話ですが、バイファムの場合はその登場人物の多さによるポジショニングの問題、そして視聴者からの要望などもあいまって、同じキャラでありながら放映開始時と終了時ではキャラクターのポジションが全く違うという事態が発生しています。特に女性キャラに関しては、物語の進行に直接関わるような重要な役割が(カチュアを除いて)ほとんどなかったこともあり、この傾向は顕著です。

本稿では、年齢が著しく離れているルチーナを除く5人の女性キャラに関し、放映開始時と終了時のポジショニングについて考察してみたいと思います。
まず、放映開始時の彼女達のポジショニングを示した第1のマトリクスをご覧下さい。


5人の中で唯一第1話から登場したことからも分かるように、物語の開始時点ではペンチが正統派ヒロインの役割を果たしています。一方、彼女とキャラがよく似たクレアについては、主に4歳という年齢の違いからくる経験値の差によって、ペンチとの差別化が図られています。つまり、スコットやロディら年長組と対等に渡り合うのは彼らと年齢が近いクレアの役割であり、この時点での物語のヒロインはペンチであったと言えるでしょう。彼女達2人はマトリクス上では「正統派ヒロイン」であり「視聴者にとって身近な」キャラであったと言えます。

一方「男勝り」的な設定がなされていたマキは、序盤からケンツに喧嘩をふっかけたり、男性的な言葉遣いをするなどして、ペンチやクレア達との差別化が図られています。序盤の彼女のキャラは「男勝り」というよりも単に「荒々しい」と解釈されかねないもので、その結果、序盤の彼女はどこか近付き難いイメージが付きまとうようになります。また、マキと近いポジションで型破りな行動を見せるシャロンは、ユニセックス的なキャラとして、男性キャラの領域を侵食しかねない発言や行動を繰り返します。彼女達は等身大のキャラクターではあるものの、どちらかというと型破りな、正統派ヒロインがいるからこそ振る舞うことができるポジションを保っていたと言えます。

そして唯一のククトニアンであるカチュアは、他の女性キャラとは明らかに一線を画する形で、アンタッチャブルなポジションを確立しています。彼女の謎はすなわち物語の謎でもあり、物語序盤で彼女の行動が大きく取り上げられることはほとんどありません。キワモノ的な行動をすることはないのでマトリクス上では正統派ヒロイン寄りですが、実際には「謎めいたキャラ」としての位置に存在し、他のキャラとは違った意味でファンの注目を集めていたと言えます。


…と、大まかにこのようなポジショニングで始まったバイファムの物語ですが、物語の進行と共に徐々に、各キャラのポジションに変化が見られ始めます。第2のマトリクスをご覧ください。


最も大きな変化は、カチュアの素性が明らかになるに従って、彼女が徐々に「身近な」「正統派ヒロイン」のポジションに移行してきたことです。特にタウト星篇以降、主人公であるロディとのロマンスが表面化してきたことにより、彼女は一気にヒロインとしてのポジションを獲得するに至ります。一方マキはというと序盤の荒々しさが影をひそめ、目立たないながらもファンに身近なキャラとして認知され始めます。特に第34話でのバーツとのやりとりはファンにとって彼女のキャラを一気に身近にする重要なファクターであったと言えそうです。また、序盤は単にキワモノ、意地悪キャラという面が強調されていたシャロンも、ケンツとのやりとりが増加するに従ってとっつきにくいキャラの域から脱し、次第に味のあるキャラへと変化していきます。

その一方、当初「正統派ヒロイン」としての座を争うとみられていたクレアペンチについては、当初2人のキャラを思うように差別化できなかったことを制作サイドが必要以上に意識したせいか、正統派ヒロインとはかけ離れた「キワモノ」的な面が描写されるようになります。当初からヒステリックかつ潔癖な面があったクレアは物語が進行するに従ってその面ばかりが強調され始め、ペンチに至っては文学少女であることのの裏返しなのか、現実離れした行動を取ったり、ガサツな行動がスクープされるようになります。ヒロイン的な部分が「主」であるのに対してこれらが「従」となることを狙ったのかもしれませんが、この時期カチュアが正統派ヒロインとして台頭してきたことにより、彼女達は「主」「従」が逆転し、一気に「キワモノ」キャラへと転化することになります。

総合すると、カチュア・マキ・シャロンの3人がマトリックスの右または上方向に移動を始めたことで、放映開始時に右上にいたペンチとクレアはそのポジションは脅かされ、キワモノ的なポジションへの転換を余儀なくされたことになります。別の見方をすれば、クレアとペンチが正統派ヒロインの位置での差別化を図ることに失敗し、カチュアにその座を乗っ取られてしまったということになるでしょうか。
そして、このポジショニングはその後のOVA3〜4巻、さらにバイファム13へと受け継がれていくことになります。

このことから考えると、各キャラに対するファンの見方は、そのファンがいつの時点からバイファムという物語を見始めたかということが重要なポイントになりそうです。具体的に言うと、シリーズ開始時からバイファムを追いかけていたファンはクレアやペンチにヒロイン的な活躍を求めて当然でしょうし、物語を終盤から見始めたファンにとってはシリーズ序盤のカチュアが目立たないのは不思議以外の何物でもないでしょう。一方、後年の「13」で初めてバイファムに触れたファンにとっては、謎めいた部分を持たないカチュアや双子の赤ちゃんとのやりとりが主となるシャロンに対して、また違ったキャラクター像を見出すのかもしれません。

…最後に、では男性キャラがどうだったかというと、これは不思議なほど放映開始時と終了時でキャラのポジショニングに変化はありません。シリーズ後半の展開に合わせて大人びたふるまいをするようになったロディは「正統派ヒーロー」としての位置付けが変化したわけではありませんし、エロ本事件で隠された性格面が露呈したスコットにしても、キャプテンとしてのポジショニングはそれまでと変わらず、視聴者にとっては親近感が増しただけだったと言えます(クレアもそうですが、ある意味二重人格的な演出をされていたことになります)。

どちらかというと男性キャラについては、「13」でのポジショニングの変化が大きな問題としてあるのですが、これはまた別の機会ということで…。


■誰がセレクトした?金曜劇場の「迷場面・珍場面」(2001/07/07)


本放映の真っ只中、84年4月に発売されたドラマ篇こと「金曜劇場『ジェイナス愛の航海日誌』〜気分はもう主役〜」。シリーズ第1〜21話の総集篇に相当するこの「金曜劇場」は、単なる本篇の名シーンの切り貼りにとどまらず、13人それぞれが自分の登場するVTRを客観的に見て、喜んだり、腹を立てたり、はたまた見ないでくれと周囲に嘆願したり(笑)と、単独のエピソードとして見ても十分成立する豪華な内容になっています(本篇のシーンを除き、アフレコはすべて新録という念の入れよう)。この「金曜劇場」のスタイルはテレビシリーズ終了後に発表されたOVA1、2巻に直接受け継がれているほか、ジャケットの絵柄はのちの「シカゴ・スーパーポリス13」の原型になるなど、のちに大きな影響を与えたアルバムだったと言えます。何より、本放映当時プラモなどのメカ寄りグッズが多かった中で、13人のキャラ「のみ」に焦点を絞って成功した商品という意味で、その「功績」は偉大であると言えます。

さて、この「金曜劇場」は、ジェイナスのライブラリールームに「なぜか」保管されていた、13人の行動を詳細に記録されたテープを、みんなで見ようとすることから始まります(「誰が撮ったか知らないけど」って、明らかに怪しい(笑))。結局13人は議論の末「自分のではなく他人の出演シーンそれぞれセレクトする」というルールで各々テープを編集することになりますが、誰が誰のシーンをセレクトしたのかは本篇では明かされないままでした。ここではダイジェスト風に本篇を振り返りながら、いったい誰が誰のテープを編集したのか、その内容を検証してみたいと思います。
なお、マルロ&ルチーナはおそらく年齢的に選者の側に回ることがないと思われるので、「選者は上の2人を除いた11人であり、そのうち誰か一人が選者を2回行っている」という解釈で話を進めます。
以下、登場順で。

シャロン
冒頭で「自分のではなく人の分をそれぞれ選ぶ」というルールが決まる理由となったように、シャロンのセレクト集は13人の中で唯一、本人(シャロン)によって選ばれたものです。自薦による「名(迷?)セリフ集」、「感動の名(迷?)場面」があります。

スコット
「自分のではなく人の分をそれぞれ選ぶ」というルール下でのトップバッターはスコット。第20話のぶったおれシ−ンが冒頭にきたことでスコットは激怒しますが、その後彼がキャプテンシーを発揮するシーンが続いたことで徐々に落ち着きを取り戻し、最後には「ボクのもう終わり?(※もっとないのかという意)」と呟くまで機嫌が回復します。(笑)
選者については「あなただってステキなところあったじゃない」というセリフから察するにクレアという線が有力ですが、これだけで断定はできません。ちなみに消去法でマルロとルチーナ、フレッド、バーツ、ロディの可能性はありません。
が、ここでひとつ疑問なのは、第20話のクライマックスがほぼまるごと収録されるなどやたらと尺が長い割には、第21話のエロ本エピソードがないこと。それを仮に意図的に外したと考えると、やはりクレアが選者である可能性が高いというところでしょうか。

マキ
本篇同様、この金曜劇場でもほんのちょっとしか出番がない彼女。このセレクト集に登場するのも彼女中心のシーンはほとんどない上、登場シーンではシリーズ前半の口調がキツいシーンばかりで、ファンとしても好みが分かれるところでしょうか。
で、問題の選者ですが「探したんだけど案外ないんだよ、マキ一人だけっていうのが」というセリフからして、これはロディのセレクトであることがほぼ確実。それにしても、「(シーンが少ないことに関して)お姉ちゃん毎回でてるのにねえ」というルチーナの一言は超ブラックです(笑)

ペンチ
第14話のポエム朗読シーンの直後に「誰が選んだかミエミエだな」とのセリフがあることから、これはフレッドの選が確定。最初の「あ、でた。今度はキミの番だよ」の一言も、自分が選んだポエムのシーンが映し出されるのを待っていたが故のセリフと考えるのが妥当です。まあ、後半133食のシーンをフレッドがわざわざ選ぶのかという疑問は残りますけど。

フレッド
第1話のおもらしシーンをいかにも初めて見たというリアクションから、シャロン、バーツ、スコット、クレア、マキ、カチュア、マルロは除外。残るはフレッド本人を除いた5人ですが、終始反応が冷静なことに加え、「仕方がないわ、あの時は怖かったんですもの…」というセリフからして、実はペンチがセレクトしたのではないかという説が有力です(笑)。また、可能性が捨てきれないのが一連のシーンで頑なに沈黙を守っている兄のロディ。弟の評判を落とすためにわざとやったとか…こわー。

マルロ&ルチーナ
これは誰が選んだとかいう以前の問題っすね(笑)。自己紹介シーンしか手掛かりがなく、判断する材料がゼロに等しい状況。まあ、登場シーン終了後に「とっても可愛かったわよ」と呟くクレアが、その「そっけなさ」から類推するに少々可能性が高いような気もするんですけど、とりあえず横一線ということで。

クレア
冒頭の「なにこれ!」の一言からマキは除外。全般的に手掛かりは少ないですが、可能性が高いのは他キャラの時に比べてリアクションがおとなしいバーツ、スコットあたりか。特に第19話のシーンで「こんなに苦労してるとは思ってなかったんだ。だからつい、あの時キミにひどいことを…」と言い訳しているスコットは、性格的に「あやまるきっかけを作るためにこのシーンをセレクトした」という可能性があることも考慮に入れて、選者の最右翼か。

バーツ
ケイトさんのヌードが登場したシーンでのリアクションその他から、スコットは当然除外。また、同時に覗きをしていたことが暴かれるロディが自分で墓穴を掘る可能性もなし。また、リアクションの内容からマキ、クレア、マルロ、フレッド、ケンツも除外。「(覗きを)やーねー」「私達も気をつけたほうがいいわ」などと話をしているペンチ、カチュアあたりが、一同の中ではいちばん怪しいような気が(笑)

ロディ
本「金曜劇場」のクライマックス(笑)。水浴びシーンに続いてケイトとのキスシーンが暴かれるという、主人公にとって最悪の展開。ここではリアクションが派手なクレア、スコット、ケンツ、ルチーナ、マキは除外。最後に「詩か何か作れそうなシーンだったわ。ステキよ」と呟くペンチの妙なリアクションが「初見」とは思えない点は少々引っかかるが、ここは不気味なくらいノーリアクションのバーツが、彼を陥れるためにセレクトしたに違いない、と断定。(笑)

ケンツ
前半の戦闘シーンは、どう見ても「ケンツが自分で自分のために編集した戦闘シーン」。仮にこのシーンを誰かが彼のためにサービスで編集したと仮定すればジミーあたりが有力だが、これはやはり自分で自分を編集した唯一の例外である、とするほうが妥当。続いて第21話の蒙古斑シーンなどが登場する後半は、消去法からしてバーツ、フレッド、ペンチ、カチュアが除外。「次々と見たくないものが出てくるな」というセリフからスコットもなし。で、最終的に「そのくせ(ケンツのしっぽを)しっかり見てたじゃんかよ」というセリフから判断するに、ジミーよりもシャロンの可能性が少々高いというところ。ジミーが選者の場合は、蒙古斑のシーンはカットするでしょうし(笑)。
というわけで、少々イレギュラーではあるものの「前半はケンツ自身、後半はシャロン」ということで。

ジミー
BGMと「あ、あの、ぼく…」のセリフのみで、これは名場面というのかどうか(笑)。選者についてはツッコミを入れまくるシャロンとケンツ、フレッドは除外。可能性があるのは「(セリフが出てくるまで)もう少し待っててあげて」と発言したカチュアが妥当な線か。

カチュア
トリを飾るのは、カチュアが第17話でロディを救出するシーン。誰が選んだのか決め手に欠けるが、話の流れからしてジミーの可能性高し。ロディという線もないではないですけどね。


…とまあ、以上をまとめると

(確実)
■ペンチ…フレッドの選
■マキ…ロディの選
■シャロン…シャロンの選

(可能性高し)
■スコット…クレアの選
■クレア…スコットの選
■ジミー…カチュアの選
■カチュア…ジミーの選
■フレッド…ペンチの選

(こじつけ)
■ロディ…バーツの選
■バーツ…ペンチの選
■ケンツ…ケンツ+シャロンの選

(不明)
■マルロ&ルチーナ…?

となり、只一人登場していないマキを選者不明のマルロ&ルチーナにあてはめると(イレギュラーなケンツを除いて)13人全員がピタリと当てはまります。うーん、ホンマかいな…。まあ、映像がないことが逆に想像力を掻き立てられるこの「金曜劇場」ならではの楽しみ方ということで、ひとつご了承くださいませ。ご意見などございましたら是非お聞かせいただきたく。

最後に余談ですが、この「金曜劇場」、構成は星山氏と平野氏とクレジットされていますが、実質的には平野氏の手によるものではないかと想像されます。第6話の水浴びシーンの挿入の仕方などが、脚本を書いた本人でなければできないワザであるような気がしてなりません。さて、真相やいかに?


■メカ中心か?キャラ中心か?(2000/03/20)

バイファムに登場するRVはデザイン的にはガンダムの発展系であると言えます。主役メカであるバイファムとネオファムのカラーリングが基本的にガンダムとガンキャノンのそれに近いこと、また「ウグ」など敵ARVのネーミングの付け方からもそれは明らかです。このあたりはガンダム路線のキャラクターを育てたいというスポンサー(バンダイ)の意向が色濃く反映されていたと言えるでしょう。
しかし発売されたプラモデルはスポンサーの思惑通りに売れたわけではありませんでした。当時の関係者の方のコメントを総合すると「バイファムら地球軍のメカはまだしも、ARVが全くと言っていいほど売れなかった」ようです。バイファムに登場するメカのプラモデルは番組開始直後のかなり早い時期に発売されたと記憶していますが、それらの中でARV(ウグ、バザム、ジャーゴ、ガッシュ)の売れ行きが芳しくなかったことが、番組の打ち切り騒動にも大きく影響を与えます。
結局番組自体は放映時間帯を変更することで延長が決定しましたが、メカの扱いは第3クール以降大幅な変更を余儀なくされました。スポンサーの分析は「明らかな人型のフォルムでないとプラモデルは売れない」という結論だったようで、第3クールからはデュラッヘを始めとする完全な人型フォルムを持ったメカが登場し、またバイファムら主役メカにはスリングパニアーというオプションが装備され、プラモデルは再発売されるに至りました。このあたりのスポンサーの意向と現場の反応は、第29話でスリングパニアーが初登場した際のコンテナに付けられた「バンダイマーク」が全てを物語っています。また同時にククト星篇からは「毎回戦闘シーンを描く」という不条理な制約を遵守しなければいけなくなり、ドラマ部分が削られる一方、戦闘シーンを描くための不自然な展開が随所に見られるようになります。のちにバイファムという作品を通して見た時これらの戦闘シーンが必要でないのは明らかであり、「バイファムの魅力&みどころとは何か」という点をスポンサーが完全に誤解していた点が伺えます(勿論プラモデルその他のキャラクターグッズを売るための選択として必然だったことは言うまでもありません)。しかし、これらの制約を何とか打ち破ろうとしたスタッフの方々の総意努力が数々の名エピソードを生んだのもまた事実であり、何をもってベストとするべきなのかは難しいところです。

一方番組終了後に制作されたOVAではソフトで稼ぐことができるという発想でしょうか、人気のあったキャラクター偏重のエピソードが続出します。のちの新作「13」などもこの延長線上にあると言えます。しかし物語がキャラ偏重になった結果、初期のバイファムを支えていた微妙な緊張感が失われてしまったこともまた事実です(特にOVA3巻においてこの傾向が顕著であるように思われます)。「親と会うために戦火をくぐり抜けていく」という物語の基本的な構造が、いつしか「子供達だけでワイワイやっていく中で様々なエピソードが起こる」というスタイルになってしまったことについてはファンとしてもおそらく賛否両論あることでしょう。
旧シリーズ第22〜26話を繋ぐサイドストーリーとして誕生した「13」において、これらの緊張感を維持しようとするのは困難な作業だったと推測されます。そんな中第1クールの「双子の赤ちゃん&ラピス篇」ではオリジナルシリーズに近い良好なテンションが維持されていたと私自身は感じました。しかし「毎回必ず戦闘シーンを描かなければいけない」という制約があった旧シリーズ後半のことを考えると、シリーズを通してもっと伸び伸びとした演出が可能だったのではないか、そう思えてなりません。
メカ描写の比重とキャラ描写の比重、どちらにポイントを置くか。そしてどのように描き分けるか。バイファムという作品は全シリーズ計70話前後のエピソードの中でその難しさを見せつけた、極めて珍しい作品であったと言えます。


■どのキャラをメインに据えるか?〜バイファムにおける対人認知(1999/10/02)

「兄さん、またジミー達に会えるよね。」
「ああ、戦争が終わったらきっと会えるさ、絶対に。」

このセリフはもはや何の説明の必要もない、最終回のラストにおけるフレッドとロディの会話です。このセリフが第1話ラストのセリフ「戦争になっちゃうの?」「負けやしない、絶対に」と対になっていることは明らかで、両話の脚本を担当された星山氏のこだわりが生んだ名セリフであると言えます。
しかし本放送当時この感動の最終回を見ていた私は、この会話の中にちょっとした違和感を感じました。いったい何がひっかかるのか?すぐには分からないほど些細なことではありましたが、それはフレッドのセリフの中にありました。私に違和感を感じさせたもの、それはフレッドが用いた「ジミー達」という表現だったのです。さて、私はこの「ジミー達」という表現の一体何にひっかかったのでしょうか?

例えば自分からちょっと離れた位置に2人の知り合いが立っているとします。彼らに声をかける場合、どちらの人に最初に呼びかけるでしょう?自分が最初に呼びかけた相手、それは2人のうち自分が主だと認めた人物に他なりません。その2人が先輩と後輩だった場合はおそらく自然と先輩の名を呼ぶでしょうし、異性が2人いた場合は無意識のうちに自分が好意を抱いている側に呼びかけているかもしれません。自分では意識しないうちに、心の中でどちらに呼びかければいいかを判断し決定してしまっているのです。
この場面のフレッドについてもこれと同じことが言えます。「ジミー達」というのはここでは言うまでもなくカチュアとジミーの2人を指しているわけですが、フレッドがここで彼らを「ジミー達」と呼んだのは、彼にとっては「カチュアとジミー」の2人のうちジミーが主だったからに他なりません。私がこのセリフに違和感を感じたのは、私にとっては「カチュアとジミー」=カチュアが主だったからなのです。私が見ていたこの最終回というのは、あくまでもカチュアとの別れのエピソードだったのです。一方このラストシーンでは名前を口にしてはいませんが、ロディもそれまでのシーンで「カチュアは」という表現を多用しています。両者の名前を呼ぶシーンでも順番は「カチュアとジミー」であって、決して「ジミーとカチュア」ではありません。物語の展開から見ても明らかであるとはいえ、ロディにとってはこの場面はやはりカチュアとの別れのシーンだったのです。
仮にこのシーン、ロディとフレッドの役割が逆で、発言の順序が入れ替わっていたらおそらくこうなっていたでしょう。
「なあフレッド、またカチュア達に会えるよな。」
「うん、戦争が終わったらきっと会えるよ、絶対に。」

(口調に合わせて若干文体をいじりはしましたが)おそらく上記のようなセリフになっていたはずです。ロディが「ジミー達」という表現をすることはおそらく有り得ませんし、同様にフレッドが「カチュア達」と言うことは有り得ないのです。実際彼らがこのように呼びかけているシーンを想像してみると、どことなく違和感を感じます。

実はこの直前のシーンで、子供達が口々に彼らの名前を呼ぶ場面があります。ここでもフレッドは「ジミー!」と叫んでいるのですが、その横でペンチは「カチュア〜!」。ルチーナは「お姉ちゃ〜ん」、マルロは「ジミー、戻っておいでよー!」とそれぞれ叫びます(ちなみにケンツはこのシーン、ジミーの名を呼びながら涙を流しています)。これを見るだけで、彼ら個人がカチュアとジミーのどちらをより慕っていたのかが一目瞭然です。そしてこの両者の名前が呼ばれる回数のバランスがきちんと取れているところに、脚本の星山氏が意図的に(あるいは無意識にかもしれませんが)このルールを知った上でセリフを組み立てていたことが伺えます。


■音楽的考察「最終回を彩った音楽」(1998/03/03)

音楽による物語演出
作品に挿入されるBGMは、物語を効果的に演出する上で欠かせない要素です。さまざまなジャンル(緊迫感のあるもの/やすらぎ/コメディタッチ、等)に分類された中から、音響監督または選曲担当者の手によって場面に合った曲がチョイスされます。私たちはそれらの曲の大部分を、市販の「音楽集」という形で今日耳にすることができます。そして、それらの曲からドラマ本編のシーンをありありと思い浮かべることができます。

バイファム旧シリーズにおいては、平均して一話あたり約20曲のBGMが使用されています。シリーズを通して何回も採用された曲もあれば、僅か1回しか使われなかった曲、さらに本編では不採用となった曲もあります。
例えば第1話の冒頭、宇宙空間をバックに物語の舞台説明のナレーションが入るシーンでは 音楽集1の2曲目「宇宙空間(1-A-1-2)」が流れます。この曲はシリーズを通じて僅か2回しか使われません。また同じ1話の後半、飛来したARVウグ対ディルファムの戦闘と並行してロディとフレッドがクレアド星から 脱出するために空港に向かうシーンがありますが、ここでは「異星人(1-A-6-1)」が使用されています。この曲はその後もさまざまな形で用いられ、シリーズ前半を代表する曲となっています。

特定のキャラクターのために使われた曲もあります。「ほほえみの詩(3-A-6-1)」は主にペンチが詩を読む時に流れる曲で、彼女がメインとなる第14話などで効果的に用いられています。また「ミューラアのテーマ(2-B-2)」はその曲名の通り、物語後半のキーマンであるミューラアの登場シーンに頻出した曲です。第41話のラストでひとり去っていくミューラア、そして第44話「大宇宙のうた」のラストで姿をくらますシーンなどでの使用が印象的です。同時にミューラア関連では、挿入歌である「THE ASTRO ENEMY(2-B-6)」も何度か使用されており、第33話「ククトを探索せよ」の冒頭で、ミューラアが無人のジェイナスを発見しブリッジに侵入するシークエンスにおいてもこの曲が効果的に用いられています。なおこの間にはサブタイトルも挿入されますが、通常用いられる曲(4-B-3-19)は使用されずに「THE ASTRO ENEMY」がそのまま使用されます。「バイファム」では、このようにシーンに応じて形式にとらわれない効果的な音楽が演出されています。

なぜ私たちは最終回に感動したのか〜BGMなき演出
音楽面の演出について考察する例として、最終回である第46話「いつまでも13人」を取り上げてみたいと思います。以下に第46話のBGM一覧表を掲載します。

第46話BGM一覧
パート 番号 シーン内容 曲番号
46 A 1 ギャラクレーと会談するロディとバーツ 4-A-2-2
46 A 2 サブタイトル 4-B-3-19
46 A 3 シャトルに接舷するバンガード、子供達の会話 3-B-4-1
46 A 4 部屋の隅のジミーに駆け寄るカチュア 2-A-3-2
46 A 5 バンガード食堂の子供達〜格納庫のバイファムに語りかけるロディ 4-B-2-8
46 A 6 ジェダとギャラクレーの会談〜両親の無事を知らされ喜ぶ子供達 4-A-2-2
46 A 7 ブリッジで親と通信する子供達 1-B-5-1
46 B 1 通路を歩くスコット、バーツ、ロディ 3-B-8-1改
46 B 2 カチュアがいなくなったことに気付く子供達、ブリッジに向かうロディ達 2-A-3-2
46 B 3 離脱するジェダのシャトル 2-A-5-1
46 B 4 シャトルブリッジのカチュアとジミー、デュボアと通信するロディ達 未収録
46 B 5 カチュアとジミーのメッセージ、離れていくシャトルを見つめる子供達 2-A-3-2
46 B 6 ケンツをなぐさめるシャロン、紙飛行機を見て何かを思いつくロディ 4-B-2-2改
46 B 7 シャトルに到達する紙飛行機〜見つめる子供達、発進するバンガード 2-A-1-1

通常の場合、同一話において同じ曲が二度以上用いられることは滅多にありません。しかしこの第46話では「悲しみ色(2-A-3-2)」と題された曲が計3回用いられています(表グレー部分)。この曲は第41話でカチュアがサライダ博士に両親のことを打ち明けるシーンにおいても使われた、「カチュアの苦悩」を表したとでもいうべき曲です。この曲をあえて反復使用したことからも、この第46話の主題を伺い知ることができます。

また、この第46話ではBGMが延べ14曲しか用いられていないというのも大きな特徴です(通常は1つの話につき20曲程度)。前出の「悲しみ色」の重複した2曲分を差し引くと僅か12曲となり、その少なさは際立っています。

全篇を通してBGMの曲数が少ない理由、それはこの話のラストシーンにあります。シャトルに到達する紙飛行機とそれを見つめるカチュア達、そしてバンガードが地球へ向けて発進するプロセスを丁寧に描き(おそらく子供達の新たな船出の隠喩でしょう)、その後の13人それぞれの表情とスコットのナレーション、フレッドとロディの会話、そして宇宙を飛ぶ紙飛行機に重なる「SOME OTHER DAY…」の字幕、このクライマックスの約4分間ほぼフルコーラスで流れるのが、第36・38話でも使われた挿入歌「君はス・テ・キ(2-A-1-1)」でした(表の緑部分)。ここで注目すべきなのは、通常であればBGMによって緊迫感を盛り上げる演出がなされてもおかしくないその直前のシーン(船首回頭するバンガード〜怯えの表情を浮かべるカチュア達〜緊迫するシャトルのブリッジ〜主砲発射)においては、BGMが全く挿入されないことです。バンガードの主砲から発射された「何か」が紙飛行機だと分かって徐々に明るくなっていくカチュアとジミーの表情、そして流れてくる「君はス・テ・キ」のイントロ…。敢えてBGMを挿入せずにカチュアとジミーの表情の変化(この表情描写は芦田氏入魂のワンカット)で全てを表現し、そしてその直後からラストの「SOME OTHER DAY…」までのシーンを一つの曲で結ぶという音楽・映像両面の演出は、バイファムの物語を見事に完結させたシリーズ屈指の演出です。さらに、シリーズ初期から定番メロディとしてさまざまなアレンジで使用されてきた「エモーション(4-B-2-2改)」などをきっちり投入しているところも、最終回のを語る上で見逃せないポイントではないかと思います。

…最後に余談。OVA2巻における第46話の再編集パートでは、このラストシーンで「君はス・テ・キ」ではなく、「HELLO,VIFAM(1-A-3)」が使用されています。曲一つでどれぐらい印象が変わるか実感できるいい例なので、興味のある方は是非見比べてください。

(曲番号については当HP内の「BGM一覧」を基準にしました。詳しくは当該頁をご覧ください)

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